会に提出した報告書を貼ります
「月山の展望が素晴らしい」と月山ガイドのSさんより以前から聞いていた地蔵森山。
3月上旬に会が雪洞泊にて決行。行けなかった私は3月下旬、ひとりで地蔵森山山行を計画した。
撮影目的もあり、カメラ機材は(自分の所持する中で)フル装備。雪洞泊のためのスノーソー、着替えのレインウェアも準備した。以前、気温が高めのときに雪洞を掘ってアルパインウェアが濡れて乾かず凍えたことがある。単独なので、不安要因はなるべく無くしておきたい。しかし、ひとつの気がかりが出がけに大きくなった。夜カメラをセットする場所と待機場所の雪洞が離れるだろうということ。70Lザックに空きがあったためテントを詰め込んで背負ってみた。重量的には耐えられそうだ。テント泊、雪洞泊、どちらも考慮した上で省いてもなんとかなるツェルトとレインウェアを外す。これが後に正解となる。会山行の記録を参考にさせてもらい、西川町の本道寺から7時にスタートする。最初に目指す583Pは急坂な上、雪も崩れ先が思いやられた。しかし、少し進んで振り返れば、そこは巻くことのできるピークだった。次の754Pまで直線で進んだ。ここも、少しずらした尾根を行けば傾斜が幾分緩やかだったかもしれない。往路は下山時のルート確認も含め周囲の様子を観察しながら進んだ。
972Pへの尾根は雪がなくなっているところが多い。東斜面の雪の回廊はズタズタに崩れている。夏道があるはずの西斜面は雪が覆い、こちらも危険なトラバースとなる。選択肢を消去していくと尾根上の藪漕ぎをするしかない。厳しいが進めないわけではない。足元装備は時期的にアイゼンだろうが、豪雪地域の柔らかな雪にワカンも頭をよぎった。ふたつ持つよりもアイゼンの機動力もあるスノーシューを選んだ。が、藪漕ぎとなるとスノーシューはNGだった。藪漕ぎに疲れて東の雪回廊へ出てみる。1度転倒してしまった。荷物が重くて動けずザックを外して体制を戻した。ここでケガなどしたら命にかかわってしまう。より慎重に進んだ。帰宅後ザックの重量を量ったら22㎏あった。重いはずだ。
やっと972Pに着いたが地図を確認するとまだ半分も来ていない。ここから先、尾根に雪があることを祈ったが、状態は同じだった。次の1011Pまでまたほとんど藪漕ぎ。1100P直下のブナ林は急斜面な上に、見上げると雪庇が張り出している。雪庇の小さな東側に向かって登る。下山時、このピークでツボ足になることを翌日の自分に伝えておく。徐々に北側の山が見えてくる。地蔵森山は遠く感じるが行けない距離ではない、頑張ろう。真っ白な月山に励まされた。朝日連峰も見えている。
1149Pへの登り返しを終えればあとは緩やかなアップダウンと地図上では判断したが、実際は疲労度が大きく、緩やかかもしれない登りはキツかった。岩根沢からのコースとの合流点を通らず直接1219Pへ取りつけるのはありがたく、ここまで来てやっとゴールが見えてきた。地蔵森山への斜面を登りながら雪洞にするかテントにするか考えた。いや、頭の中はほぼテントだった。地蔵森山の斜面はたしかに雪洞適地かもしれないが、やはり撮影場所からは離れてしまう。やっと登頂できたのは14時。北には月山が目の前に迫り、東西南は大展望。強風ならば居られない場所だがほとんど無風。山頂西側に低木の出ている場所があり、その横にテントを張ろうと決めた。ブッシュのない雪面に平行をとりながら広場を作った。雪は固く、雪洞は掘れなかったかもしれない。
テントを設営しザックを入れて完了した時、心からほっとした。ティータイムとともに安堵感を満喫。夕日の時間まで仮眠をとった。ほとんど雲がなく、夕焼けすることなく日没。また仮眠。夜は満天の星空の撮影を楽しんだ。寂しくなったときのために持参した本はザックから出すこともなかった。撮影中、足元からカラカラと何かが滑り落ちていったのは氷の破片だと思っていた。ところが、ソーラーライトが無くなっている。自分の不注意に深く反省するとともに、三脚に立てたカメラを近くの枝に細引きロープで留めた。
星が消え始めた頃30分ほど仮眠した。朝日も焼けなかったが、時間と共に変化する光と影の様子が美しく、いつまでも撮り続けてしまう。目の前にそびえる親愛なる月山を心にも焼きつけた。去りがたいが、雪が柔らかくなる前に下りなければならない。









